8歳でシュテファン大聖堂聖歌隊のメンバーに選ばれたハイドンは、エスターハージ―家の宮廷音楽学長の職に就くまで約20年間ウィーンで音楽家としての実力をつけ、1795年から亡くなる1809年まで再びウィーンで過ごしています。
このツアーでは、ウィーンにあるハイドンのゆかりの地を訪ねてご案内させて頂く全日観光ツアーです。
ハイドンは何故、交響曲の父と言われたのでしょうか。
また,現在ドイツ国歌をハイドンはどのような思いで、フランツ皇帝のために作曲したのでしょうか。
その他にも現地ガイドだからこそ知っているエピソードをまじえながら詳しく解説させていただきます。
ハイドンゆかりの地をめぐる全日観光ツアー
コーススケジュール(約7時間、途中ランチタイム1時間含む)
午前の部
1.ハイドンハウスまで移動
ガイドがホテル、指定の場所までお客様を迎えに伺います。
お迎え後、公共交通または専用車でハイドンハウスまで移動します。
2.ハイドンハウス入場(ハイドンが最後にすごした家)
この家はハイドンが1797年から亡くなる1809年まで住んでいました。
ここでハイドンは、『天地創造』『四季』を作曲しています。
また、皇帝賛歌の資料、作曲のスケッチ、ハイドンのチェンバロ等充実した展示物があります。
3.シュテファン大聖堂入場(ハイドンが聖歌隊だった少年時代)
ハイドンは、8歳から17歳までシュテファン大聖堂の聖歌隊として働きながら、音楽家としての基礎を学ぶことが出来ました。
また彼は、シュテファン大聖堂で結婚式を挙げています。
ここでは、教会内部もご案内いたします。
4.アンカー時計
ホーアーマルクトに設置されたユーゲントシュティール様式のからくり時計は一時間に一回動き、マリア・テレージア、ハイドンなどウィーンの重要人物が姿を現します。
12時には12名の全員が音楽に合わせて登場する仕組みとなっています。
その動きを是非ご覧になってください。
ランチタイム&休憩
お客様にてご自由に昼食をお召し上がりください。
必要であれば、ガイドがお勧めのカフェ、レストランをご紹介します。
午後の部
5.オーストリア科学アカデミー講堂(旧ウィーン大学)
1808年3月27日ハイドンの前で、彼の晩年傑作作品『天地創造』がサリエリにより演奏されました。ハイドンは最後の公の場に姿を現した場所です。
6.モーツアルトハウス(ご希望の方は入場可)
モーツアルトが公私ともに最も充実していた時に住んでいた家は現在博物館となっています。
モーツアルトはここでフィガロの結婚を作曲しており、ハイドンはこの家に度々訪れています。
博物館見学ご希望の方は、ガイドまでお申し付けください。
※こちらはオーディオガイドのみとなります。
7.ノイアマルクト
1795年~1797年ハイドンが住んだ家です。
ここでハイドンは現ドイツ国家である『皇帝賛歌』を作曲しました。
8.コールマルクト及びミヒャエル教会
コールマルクトは、現在旧市街地の高級ブティックがずらりと並ぶショッピングストリートです。
変声期を迎えたハイドンは高音が出なくなり、シュテファン大聖堂の聖歌隊を解雇され、コールマルクトにある6階の屋根裏部屋で生活をしました。
9.古楽器博物館(入場)
博物館内はルネッサンス時代から現代まで時代背景が分かるように、楽器が数多く展示されています。
ここには作曲家ごとに展示されている部屋もあり、ハイドンの部屋にある当時の楽器や譜面台など興味深い展示物を見ながらご案内します。
※:各施設入場料、交通費は、お客様にて現地でのお支払いとなります。
ガイド分の上記費用のお支払いの必要はありません。
※:こちらのコースを専用車で巡ることも可能です。
希望の場合は、ご予約の際お申し付けください。(専用車利用料金が別途発生します)