ウィーン9区ザウレングッセ3番地に建つ「シューベルトハウス」は、フランツ・シューベルトの父が、住まいとして購入したのと同時に父の経営する学校でもありました。この家は、家族の生活を支える大切な拠点であり、若きシューベルトにとっては安心できる居場所のはずです。しかしその一方で、教師の道へ進むことを期待される、“現実の象徴”でもあったのです。
シューベルトはここで父の助手として働きながらも、交響曲や数百曲におよぶ歌曲を書き続けました。とりわけ有名なバラード《魔王》が生まれたことで、この家は一時「魔王の家」とも呼ばれています。
《魔王》は、中学校の音楽の授業で聴いた記憶のある方も多いのではないでしょうか。暗い森を馬で駆け抜ける緊迫感、そして歌とピアノが一体となって物語を描き出す独特の世界観は、一度耳にすると忘れがたい印象を残します。
この曲はシューベルトが当時18歳だった1815年、わずか数時間で完成されたと言われています。
ナポレオン戦争後のウィーンでは、社会全体が安定を求める一方で、保守的で窮屈な空気も漂っていました。ちょうど1814-1815年にウィーン会議が開かれ、ヨーロッパの秩序が再編されていた頃です。音楽の世界では、ベートーヴェンに代表される古典派の形式美を受け継ぎつつ、個人の感情や幻想をより重視するロマン派の芽が静かに育ち始めていました。
そんな時代と家庭環境の中で、シューベルトは父のもとで教師助手として働きながらも、音楽家として生きる道をどうしても諦めきれませんでした。家は安全で温かい場所でありながら、教師の道を望む父と、自分の望む未来へ踏み出せない“閉じた世界”でもあったのです。
そのような葛藤の中で生まれた《魔王》を聴くと、単なる怪談や幻想の物語ではなく、(他にもゲーテの性的嗜好など、色々な解釈はありますが、ここでは省略)若き作曲家の内面の声が聞こえてくるように感じられます。特に魔王の旋律は恐ろしいというよりどこか甘く魅惑的で、破滅の象徴というよりも、抗いがたい運命や音楽という幸福の方向へ導く呼び声のようにも響きます。
父の腕の中は守られた世界ですが、そこに留まり続けることは「自分ではない人生」を生きることにもつながりかねません。物語の終わりに描かれる“子の死”は、肉体的な死というより、他人の期待に従う人生との決別、あるいは幼い自分との別れの象徴として読むこともできるでしょう。
経済的に恵まれていたわけではなく、それでもひたすら歌曲を書き続けたシューベルトにとって、《魔王》はゲーテの文学作品への作曲という枠を超えた、音楽家としての道を諦めきれない魂の叫びでもあったのかもしれません。
こうして聴いてみると、《魔王》は恐怖の物語であると同時に、一人の青年が自分の人生を選び取ろうとする訴えに聞こえますね。ゲーテの詩に寄り添いながらも、そこに自らの心の疾走を重ねたシューベルトの旋律は、時代を越えて今もなお私たちの胸に深く響き続けるのだと思います。
シューベルトの生家から徒歩圏内にありますので、訪問の際にはぜひ足を延ばしてみてください。
住所 Säulengasse 3 1090 Wien
最初のベートーヴェンとシューベルトの墓地『シューベルトパーク』


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