本日、空港からウィーンへ向かう途中、観光名所『中央墓地』へ立ち寄り、32A名誉区にある有名な音楽家達のお墓をご案内しました。
墓地が名所というもの不思議な感じがするかも知れませんが、ブラームス、ヨハンシュトラウス父子、ベートーヴェン、シューベルトといった偉大な音楽家のお墓、モーツアルトの記念碑があり、クラッシックファンの方々が訪れたい場所の一つであるわけです。
ここではベートーヴェンとシューベルトのお墓が並んでいます。二人は最初から中央墓地に埋葬されたわけでなく、元はWähringer Friedhofヴェーリンガー墓地(現在のシューベルトパーク)に埋葬されていました。
本日はベートーヴェンとシューベルトが最初に埋葬されたWähringer Friedhofヴェーリンガー墓地についてご案内したいと思います。
『親愛なる友よ!サクランボのコンポートをまた一つお願いしたい。ただ、レモンを入れず、ごくシンプルなものにしてくれないか。あと、軽めのケーキで、ほとんどジャムみたいに柔らかくなっているものも一緒にもらえたらありがたい。。。』ベートーヴェンが亡くなる数日前に友人に宛てた手紙です。
1827年3月26日 ベートーヴェンは長年病んでいた肝硬変により生涯を閉じました。葬儀は29日に盛大に行われ、参列者は約2万人、大混乱を防ぐために軍隊が出動し、近郊の学校は臨時休業になったという記録が残っています。この当時のウィーンの人口が約30万人ですから、クラッシックファンでなくとも、ベートーヴェンの名前はウィーン中に知れ渡っており、偉大なる音楽家の死をウィーン市民は惜しんだようです。
その当時、お金持ちや貴族が多く埋葬されているヴァーリンガー墓地にベートーヴェンのお墓が建てられました。
シューベルトは、ベートーヴェンの音楽を大変崇拝しており、亡くなる数日前にはお見舞いに訪れています。ベートーヴェンの葬儀では『ベートーヴェン先生亡き後、自分にはいったい何が出来るのであろうか。。』と嘆いていました。ベートーヴェンの葬儀には、シューベルトは松明を持って参列し、棺を担いでいます。
まさか、そのシューベルトが翌年1828年11月19日に後を追うように31歳という若さで亡くなるとは、本人も想像していなかった事でしょう。
シューベルトは亡くなる前に『もしも、自分が死んでしまったら、尊敬するベートーヴェン先生の横に埋葬して欲しい』と遺言を残しました。その遺言通りにするべきだと、シューベルト兄弟は強く主張をして、ヴェーリンガー墓地にあるベートーヴェンのお墓の横にシューベルトのお墓が建てられたわけです。
現在、ベートーヴェンとシューベルトとお墓は1888年に中央墓地に移りました。ベーリンガー墓地はごく一部を除いて、墓石などは殆ど撤去され、シューベルトパーク(公園)に変わっています。しかし、お墓ではありませんが、二人の記念碑が現在も仲良く並んで立っています。ベートーヴェンの記念碑は中央墓地にある、メトロノームの形をしたベートーヴェンのお墓かなり似ていますね。
以前、シューベルトパークの近所に住んでいまして、時間のある時によくお散歩に来ていました。子供達が遊んでいる場所や木々が植えられている場所が以前は墓地であったとは思えないほど、綺麗に整備されています。不思議だったのは、訪れている人々がベートーヴェン、シューベルトの記念碑は誰も目もくれず、通り過ぎていたことです。ここに偉大なる音楽家のお墓があった事に気が付いている様子を垣間見る事はありませんでした。
ご希望があるベートーヴェンファンのお客様がウィーンを訪れた際に、ご一緒に立ち寄って見るのもいいなぁと、考えています。
下記はベートーヴェンに関する記事です ご参照ください
ベートーベンハウス バーデン『第九交響曲』を作曲した家
ベートーヴェンの遺書の家「Haus des Heiligenstädter Testaments」
ベートヴェンフリースとクリムトとベートヴェン!
コメント