シシーの幸福な子供時代の思い出地『ポッセンホーフェン』へ行ってみた①

エリザベート

ウィーンミュージカル『エリザベート』の大人気は衰えることなく、今年、2020年は日本で東京・帝国劇場、大阪、愛知、福岡の4都市で再演されますね。皇室に馴染めず、幼少の頃の自由を生涯求めた彼女の生き方をどのように日本で演じておられるのか私も大変興味が在り、是非、日本で公演を観てみたいと思っております。

では、エリザベート(以下シシー)が幼少の時に過ごしたポッセンホーフェンとは一体どんなところでしょうか。幼少の頃からずっと自然を愛し、自由を求めたルーツがここにはあるはずです。

今回はシシーが冬以外に過ごしていたポッセンホーフェン(昨年の春に撮った写真です)を交えながらご案内したいと思います。

ポッセンホーフェンはミュンヘンから南西約35キロメートルにある小さな村です(国鉄で約40分)。各駅停車でのんびり目的地に向っていくと、窓から見える風景が自然に変わっていき、段々と全く手が入れられてない大自然になっていきます。窓から眺めながら、本当にこの森の中(山の中?)にエリザベートの故郷ポッセンホーフェンがあるのだろうか?と考えていると、

現在はエリザべート博物館になっている小さな駅『ポッセンホーフェン』に到着します。駅の前には凛とした姿のシシー銅像が建っています。この博物館は冬の間お休みで5月にオープンです。私が行ったのは3月でしたので、残念ながら博物館は閉館でした。。

シシーは1837年12月24日バイエルンでヴィステルバッハ公爵家の4番目の子供として生まれます。彼女の父親マックスヨーゼフ公爵(以降マックス公爵)は都会や宮廷の堅苦しい暮らしを毛嫌いし、一年のほどんどを大自然のシュタインベルク湖のほとりにあるポッセンホーフェン城で家族と暮らします。従ってシシーの母親はバイエルン王女でありながら、結婚後はほとんど田舎暮らしだったわけです(笑)

歴史上でもヴィステルバッハ家出身の人は狂人や癖のある性格の人が多かったようで、マックス公爵も束縛を嫌う自由奔放な変わり者でした。そのせいか、よくふらりと一人旅に出かけています。しかし、自然を愛するマックス公爵にとってポッセンホーフェンは彼の憩いの場所であり、ポッセンホーフェンの大自然の中、馬の遠乗り、乗馬、水泳を楽しみ、その時には活発で運動神経の良いシシーを良くお供させています。また、チターの名手で『チターのマックス』と言われたほどです。シシーの性格や趣味はお父さんの影響を受けているのですね。

さて、駅から家族が過ごしたシュタインベルク湖のほとりにあるポッセンホーフェン城(かつてのシシー家族の館)に向かう途中の道です。まるでハイキングコースです。お城へ向かう看板が所々出ていますので、地図を片手に看板の指示通りに進んでいきます。私が訪ねた時は人も殆ど歩いていませんでしたが、迷うことはありません。

シシーの家族は愛情を込めてお城を『ポッシー(POSSI)』と名付けました。シシーに似て可愛いネーミングです。ポッシーにもうすぐ到着する~とちょっぴりウキウキ気分で自然の中に続いている道をずっと歩いていくと。

春を知らせる高山植物がちらほらと咲いていました。紫の可愛らしいお花!

10分ほどテクテクと歩くとポッセンホーフェン城が見えてきます。現在は残念な事に個人所有のため中に入ることは出来ませんが、少し傍から写真を撮るためぐるっと周りこみました。

素敵なお城が大自然の中にド~ンと目立ちます。お城の周りはデコボコしていて、自然のままの草木に囲まれています。このお城でシシーは16歳までほとんど過ごしています。

一緒に来た知り合いが『この場所を愛している人が、ウィーンの石畳に感動しないでしょうね。自然に戻りたかったでしょうね。』と呟いたのがとても印象的でした。到着した時は自然以外何もない村という印象が、鳥達の大合唱の美しい鳴き声に耳を傾け、自然のままの自然の中に立っているうちに、時間の流れがゆっくりになったような落ち着いた感覚に変わってきます。

父親マックス公爵は厳格な教育をせず、子供達全てに自由に好きな事を伸び伸びとさせて育てました。束縛を毛嫌いし、誰にも命令されない生活を望んでいたマックス公爵にとって、森の中で暮らす事は天国同様です。経済的に豊かだったので子供達には心の余裕があり、寛容だったようです(家にほとんどいず、教育には熱心ではなかったとも言えますが(笑))幸運でしたね!

ポッセンホーフェン城のすぐそばにシュタインベルク湖があります。じっと座っているのが苦手で、水泳が大好きだったシシーは夏には何時間も泳ぎ続けていたそうです。湖のほとりまで歩いていくと?!

遠くからですと分かりずらいですが、傍で撮った湖の写真を見てください!湖の傍ではなく、湖の底がこんなにはっきりと見えています。この透明度には言葉を失いました。手を入れてみるととても冷たいです。シシーはここで夏に数えきれないほど兄弟、姉妹達と泳いだことでしょう。

湖のほとりを散歩してから、もう一度ポッセンホーフェン城の傍まで戻ってきました。

シシーは皇后になってからも、彼女自身が人生で一番幸せだった時を思い出すかのように度々ポッセンホフェンを訪れています。マックス公爵は特に馬が好きで、中庭に演技場や観客席があるサーカス場を設け、村人に馬術を披露していました。中庭はかなり広いです。

以前の門の廃墟が残っています。

シシーにとって、遊ぶ場所が自然である事は当たり前だったのでしょう。草原でスポーツだけ楽しんでいたわけではありません。天気の良い日は外でほとんど過ごし、寝転んでお絵かきをしたり、日記代わりの詩もたくさん書いています。彼女にとってこの自然の中で過ごす事は居間で過ごしているのと同じくつろげる場所だったのですね。

このまま、シュタインベルク湖に沿って、ルードヴィヒ二世との思い出の場所『バラの島』へ向かっていきます。

シシーの幸福な子供時代の思い出地『ポッセンホーフェン』へ行ってみた② へ続く

参照 アンチエイジングに異常なほど執着したエリザベート皇后

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