12月になるとウィーン子は家族や親しい人へのクリスマスプレゼントの事で頭の中がいっぱいです。クリスマスイヴに子供だけがプレゼントをもらうのでなく大人同士はプレゼント交換をしますし、お世話になった方へはお中元とお歳暮が同時に来たような感覚でプレゼントを贈ります。
これが楽しくもあり、ストレスにもなる『クリスマスストレス』毎年ながら頭を悩ませる時期でもあります。
オーストリアではクリスマスプレゼントはサンタクロースが持ってくる事はなく、子供に化けたキリストが運んできてくれます。
そのサンタクロースの前身である聖ニコラウスをご存知ですか?今日は12月6日聖ニコラウスの日ですのでそのお話をしたいと思います。
聖ニコラウスは3~4世紀のトルコの司教でした。
弱いもの、貧しい人を助けたスーパーマン的存在で人々から尊敬されていたそうです。
聖ニコラウスの有名なエピソードを一つ。
聖ニコラウスの近所に3人の美しい娘を持った貧しい靴屋さんが住んでいました。家が貧しかったためにお父さんは嫁入りの仕度金をすることが出来ません。ある日長女が自分の体を売ろうとしたところ、気の毒に思った聖ニコラスは1人の娘の支度金のお金を布に包んで窓から投げ入れました。
貧しい靴屋は神様からのお恵みと深く感謝し、このお金で長女の結婚の支度金として使用することが出来ました。しばらくするとまた聖ニコラウスは次女の嫁入りのために支度金を窓から投げ入れました。靴屋の主人はこの名も知れぬ恩人は誰なのか分かりません。
そしてまた三女のための嫁入り金が投げ込まれた時は、靴屋の主人はすぐに外へ出てその場を去った聖ニコラウスを追いかけ「あなたは私達家族を救って下さった恩人です。」と言い、ニコラウスの足に接吻しようとしました。しかし、聖ニコラウスはその接吻を断り、決して人に他言しないことを誓わせました。
オートリアでは良い子にしている子供たちは、12月5日の晩、、ベットへ行く前に、靴をピカピカに磨いておくと聖ニコラウスが靴の中へチョコレートやお菓子靴の中に入れてくれると教えられています。
宗教改革の頃に、プロテスタントでは聖ニコラウスの日を廃止して、贈り物を入れた袋を背負い、赤服に赤い頭巾で長靴のを履いたお爺さんの形にかえ、クリスマスと結びつけました。
聖ニコラウスはオランダ訛りで「センタクラ―ス」と発音されます。
18世紀に「センタクラ―ス」の習慣がイギリスに渡り、クリスマスのプレゼントを窓からではなく、煙突から入って暖炉やストーブのそばにあらかじめ用意した靴や、靴下の中に入れるようになりました。
さらに北欧の伝説がミックスされて、センタクロースは8頭のトナカイのソリに乗ってプレゼントを北欧から運んでくることになりました。
やがてアメリカ大陸が発見され、オランダの移民達がセンタクラースの習慣を広め、英語で『サンタクロース』と呼ばれるようになり、世界中に広まったわけです。
オーストリアでは聖ニコラウスから12月6日、クリストキント(子供に化けたキリスト)から12月24日と2回もプレゼントをもらえますが、サンタクロースはプレゼントを運んできてくれません。しかし、クリスマスを華やかにするエンターテーメントとしてウィーンの街中やデコレーションとしてあちこちに登場し大活躍をしてくれています。
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