たった46小節の小品ながら、美しいモーツアルト晩年の傑作合唱曲『アヴェ・ヴェルム・コルプス』 合唱曲は、ウィーンから南に約26キロkm離れた温泉保養の街バーデンで作曲されました。
日本でも人気のある曲ですので、合唱団のコンサートでは良く演奏されているかと思います。
今回は、ウィーン郊外にあるシュテファン教会とアヴェ・ヴェルム・コルプスの誕生の背景をご紹介したいと思います。
小さな町の教区教会シュテファン教会
バーデンの中心から少し離れた場所にあるシュテファン教会は、小さいながらも、遠くから目立つ玉ねぎ型の塔が特徴的です。
教会の外壁は15世紀終わり頃ということが確認できますが、
教会内部はこじんまりとして、外から見るよりも明るいイメージがあります。
2回にわたるオスマントルコの戦いで教会はかなりの被害を受け、
主祭壇画は、聖シュテファン大聖堂同様、聖シュファノが石を投げられ、殉教死している様子をパウル・とろーがーによって描かれています。右横にあるため、正面からも光がたっぷりと入り明るいですね。
このヨーロッパではごく一般的な、小さな温泉街の教区教会が、モーツアルトの作品で世界中に有名になるとは、誰にも予想できなかったことでしょう。それでは、その作曲された経緯について次にご案内しましょう。
コンスタンツェがバーデンに滞在した事が名曲を生み出した!
1789年、コンスタンツェが足の感染症にかかり、バーデンへ温泉療養へ出かけるようになります。経済的的困窮のなかにいたモーツァルトは、愛妻のための高額な湯治費用を、友人プフベルクに借金して工面しています。
バーデン滞在中に、コンスタンツェの世話をしてくれたのが、モーツアルトの友人アントン・シュトル氏です。彼は、コンスタンツェのために、滞在用のアパートを探したり、色々と親身になって、協力していました。(本当はコンスタンツェが悪さをしないように、モーツアルトから頼まれて見張り番まで勤めていたようですが。。。)
アントン・シュトル氏は教師であり、テノール歌手で、バーデンにある聖シュテファン教会で、合唱指導もしていました。
モーツァルトは、コンスタンツェを見舞いに行った1971年の6月、バーデンの数日間の滞在中に、アントン・シュトル氏へお礼として、アヴェ・ヴェルム・コルプスを作曲しています。
1791年6月17日に作曲されたと記されていますので、たった一日で書いたのでしょう。
1週間後に、アヴェ・ヴェルム・コルプスの初演が聖シュテファン教会で行われました。教会には、その記念としてモーツアルトの自記筆ファクシミリの楽譜と記念のプレートを見る事が出来ます。
愛妻家モーツアルトがコンスタンツェに悪い虫がつかないように、見張りをしてくれた(笑)方へのお礼に作曲したとはいえ、超越した美しいメロディーは、世界中に今もなお愛され、演奏されています。
余談ですが、
もう10年以上前になりますが、オーストリアへコンサートのために来た、日本の高校生さんがこの聖シュテファン教会で歌った、『アヴェ・ヴェルム・コルプス』を聴いた時の感動を、今でも忘れる事が出来ません。
天使のような純粋で、美しく柔らかい声が教会に響き渡り、感動で心が震え、涙が溢れてきました。モーツアルトは、きっと彼らのような声で歌うことを想定して、作曲したのだと、思えたほどです。今でも、私が聴いたアヴェ・ヴェルム・コルプスの中で、彼らの合唱が一番美しいですね。
コメント