ケールシュタインハウス(ヒトラーの山荘)とバベルの塔

ドイツ

6月半ばからオーストリアはすっかり夏の天気となり、気温も30度近くになる事が多くなりました。今月は珍しく何度かケールシュタインハウス(Kehlsteinhaus)を訪れる機会がありました。山頂から見るアルプスの山や大自然は絶景であり、何時間でもその場で過ごしたくなるほどですし、観光名所としても大変有名で多くの人が訪れています。

しかし、このケールシュタインハウスは、アドルフ・ヒトラーのために建設したナチス・ドイツを象徴する建物です。

いつもはこのブログでは、読者の皆様に美しいウィーン、オーストリアをメインにご紹介させていただいておりますが、今回は普段、ガイディングでは説明する事がほとんどない、なぜナチス・ドイツはこの建物を建てたのか、ブリューゲルの絵画「バベルの塔」と比較してご紹介したいと思います。

ケールシュタインハウスは、ドイツのバイエルン州に位置する山頂に建てられています。建設は1937年から1938年にかけて短期間で行われ、ヒトラーの側近であったマーティン・ボルマンによってプロジェクトされました。よく、ヒトラーの50歳の誕生日のために建てられたと書かれている文章がありますが、それは正しくありません。

ケールシュタインハウスとバベルの塔

公共機関でケールシュタインハウスへ行くには、ベルヒテスガーデンからオーバーザルツベルクまでバスで向かいます。ここからは普通の車は通行止めです。山荘専用バスに乗るか、もしくは歩いて(山登りです^^;)行く必要があります。

バスは往復で現在(2023年度)30ユーロとなっています。日本円に換算すると高く感じますね。しかし、ケールシュタインハウスの入場料がありませんので、入場料兼バス代と思って移動してくださいね。

バスの窓から見える景色は絶景です。なお、歩いて上がる方は覚悟して登ってくださいませ。

途中の景色を見ていると、この山に無理矢理に山頂までの道路を作った意味に気付かされます。私はいつも、まるで「バベルの塔」を上がっているかのような錯覚になるのです。

バベルの塔は旧約聖書の創世記に登場するお話です。かつて人類は共通の言語で協力し合って生活していました。しかし、ある出来事が起こり、人々はバラバラの言葉を話すようになりました。その出来事がバベルの塔の物語です。

上の写真はウィーン美術史博物館に展示されています門外不出のブリューゲルのバベルの塔です。彼らは自分たちの名声を高めるために、神様の住む天まで届く塔を建てようとしました。しかも、神様が与えた石と漆喰ではなく、自分達が作り出したレンガとアスファルトを使用して建築しています。

この行為は神様に対する反逆であり、「神と同等でありたい」と思い始めた彼らの傲慢な心が神様の怒りを引き起こしたのです。神は意思の疎通ができないように、それまで一つだった言語ではなく多言語を作ったと言われています。

ケールシュタインハウスもヒトラーの傲慢さを反映しています。ヒトラーの権力と支配を象徴するために、側近であったマーティン・ボルマンはケールシュタインハウスを設計しています。(どの時代にもあるご機嫌取りですね)

峻険な崖の上にそびえ立ち、豪華な金色のエレベーターで山荘まで上がっていく事で、訪れた人々は得体の知れない威圧感を感じた事でしょう。ヒトラー自身も完成したケールシュタインハウスを見て、彼の力と威厳の象徴、そして神の存在と見なせると満足していたことかと思います。

このようにバベルの塔とケールシュタインハウスには傲慢さの共通点があります。両者とも自己の名声や権力を追求し、自己顕示欲に満ちた行動を取りました。バベルの塔の建設者たちは神に匹敵する存在になろうとしましたし、ヒトラーも自身を絶対的な支配者として位置付け、ケールシュタインハウスをその象徴として利用しました。

そして人間の傲慢な心がどれほど破滅的な結果をもたらすかを示しています。バベルの塔では言葉が乱れ、ケールシュタインハウスでは人間性が忘れ去られ、人権侵害や戦争の計画が進められました。

傲慢さや権力への渇望は、人間の誤った道へと導いてしまうのですね。バベルの塔やケールシュタインハウスのような象徴的な建物は、私達が同じ過ちを2度と繰り返さないように警鐘を鳴らしているかのようです。

ケールシュタインハウスから見る絶景

さて、ケールシュタインハウスへ向かいましょう。バスで到着すると長いトンネルを歩きます。その先には人々を圧倒させる真鍮性の黄金色のエレベーターがあり、124メートル上の山荘へ一気に上がっていきます。

エレベーターの中は写真撮影禁止ですので、外の扉をご覧ください。

エレベーターを降りるとケールシュタインハウスの中に到着です。政治的意味を持たないこの山荘は、第二次世界大戦中に爆撃を免れ、戦後も解体されることはありませんでした。

そのため、現在でもほぼ原形を留めており、1952年から山岳レストランとして運営されています。ここでは簡単な食事もできますし、景色を楽しみながら、飲み物のみを注文しても良いと思います。


レストランの中に入るとムッソリーニから贈られた暖炉を見ることができます。

お土産屋さんには日本語のパンフレットも販売されていますので、ケールシュタインハウスについて詳しく知りたい方はご購入される事をお勧めします。今日は観光内容の詳細は省略しますね。

ケールシュタインハウス建築3つの意味

ヒトラーためにケールシュタインハウスを建築した意味についてもう一度整理をしたいと思います。

まず一つ目は、前述したようにまるで「バベルの塔」を彷彿させるヒトラーの威信と権力の象徴としての役割です。ケールシュタインハウスは険しい山頂にある建物であり、ヒトラーの支配力とナチスの栄光を象徴するものとして建設されました。人々にはヒトラーの存在と影響力を印象づけるために大いに効果があったと考えられます。

二つ目はプロパガンダとイメージ作りです。ケールシュタインハウスは高所に位置しているため、壮大な景色を一望することが出来ます。ナチスはこの建物と景色を映像や写真によって宣伝し、ヒトラーの統治の象徴としてアピールに使用しています。ヒトラーがここで重要な外国の要人を迎える様子も広く宣伝されたことは、ナチスの権威を高めるためのプロパガンダ手段としても大変有効でした。

最後に、ヒトラー自身の個人的な利用もあります。ナチスの要人をむかえる場所ケールシュタインハウスは、本来、ヒトラーの私的な保養所として使用され、彼がくつろぐ別荘のはずでした。

姪エヴァ・ブラウンの姉の結婚披露宴でも使用してヒトラー自身も参加しています。しかし、ヒトラーは非常に神経質で疑心暗鬼な性格であり、彼は常に身の安全を考え、予期せぬ襲撃や暗殺の危険性に晒されることを恐れていました。ケールシュタインハウスは山の頂上に孤立しており、道路も無防備だったため。彼の安全上の懸念が訪問頻度を制約し、実際は数回しか訪れなかったようです。

最後に

ケールシュタインハウスは、ヒトラー時代の唯一存在する建造物であることから、ナチスが残した貴重な建物と言えます。そして、この建物の背後には人間蔑視的な独裁政権の闇があったことがわかります。

今回はケールシュタインハウスとバベルの塔を比較し、ケールシュタインハウスが建造された目的と意味についてのブログとなりましたが、いかがだったでしょうか。たまにはこのような形の記事を書くのもいいですね(かなりコアな記事内容かもしれませんが^^;)

どうぞザルツブルクもしくはミュンヘンにご滞在予定の方で、お時間に余裕がある旅行でしたら、是非、ケールシュタインハウスまで足を伸ばして過去の歴史と絶景をお楽しみくださいませ.

 

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