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中央墓地に眠るナポレオンの非嫡子オイゲン・メゲルレ・フォン・ミュールフェルド

 

中央墓地ツアーでは、時間的な関係もあり、有名な音楽家のお墓がある32Aをメインにご案内させて頂いてます。音楽家以外でも著名、有名人のお墓もあり、時間が許すならば、ご紹介したいと思うのですが、ツアーの関係上難しいのですよね。

そこで、中央墓地に眠る著名、有名人のお墓について私のブログでもいくつかご紹介したいと思います。旅行で中央墓地に来られる方は是非、探してみて下さい。

今回はナポレオン1世にまつわる人物についてです。

ナポレオン1世がジョセフィーヌとの離婚を決断するきっかけとなったのは、映画にもなりました、愛人の中で寵愛を受けたポーランド人のマリア・ヴァレスカの妊娠と言われています。しかし、同じ年にもう一人の女性エミーリエ ヴィクトリア クラウスがナポレオン1世の子供を妊娠しています。

それまで、ジョセフィーヌとの間に子供が出来ないのは、自分に生殖能力がないのかもしれないと悩んでいたナポレオン1世は、この2人の愛人の妊娠により、彼に自分の血を引いた跡取りを残すことが出来る自信になったようです。

 

二人の愛人から生まれた二人の子供は共に男の子で、運命まで非常に似ており、同じ年に生まれて、同じ年に亡くなっているのですよね。大きな違いは、2人は愛人でありながら、ナポレオン1世の公然の愛人と日陰の愛人であったことです

今回は、中央墓地名誉区に埋葬されているナポレオン一世の子供、オイゲン・メゲルレフォンミュールフェルドのお墓についてご案内しましょう。

ナポレオンの日陰の愛人だったオイゲンの母エミーリエ ヴィクトリア クラウス

オイゲン・メゲルレ・フォン・ミュールフェルドの母親、エミーリエ ヴィクトリア クラウスはまれにみる美貌の持ち主で有名でした。彼女は10歳の時、ウィーンに住む養父に預けられ、そこで教育、社交的な事を学んでいます。

1805年12月、ナポレオン1世が第一回目にシェーンブルン宮殿を占領した時、宮殿でのセレモニーにエミーリエ ヴィクトリア クラウスの養父が彼女を連れて出席しました。ナポレオン1世はすぐにエミーリエの美貌の虜となり、猛烈なアプローチをして、個人的な接触を持つようになります。エミーリエが宮殿のセレモニー参加した事は、養父がナポレオンと接触を持たせる計画だったのでしょう。

ナポレオン1世はエミーリエ ヴィクトリア クラウスの肖像画をビーナスに例えて、当時、ウィーンで有名な肖像画家、ヨハン・バプティストフォン ランピに描かせています(この肖像画は1971年にパラグアイの切手になりました)ナポレオン1世がいかに彼女に夢中だったことが伺えますね。

画像引用 wikipedia

当時はまだ、ジョセフィーヌとの婚姻関係にあり、大変嫉妬深かったため、愛人であるエミーリエ ヴィクトリア クラウスの存在をひたすら隠しました。古いかもしれませんが、日陰の女ともいうのでしょうか、ナポレオンの愛人として表に出る事は決してなかったのです。

とは言うものの、ジョセフィーヌは浮気性だったわけで、ナポレオン1世は遠征中にジョセフィーヌの不倫が発覚して以来、ジョセフィーヌへの情熱的な思いが徐々に冷めて、愛人を作るようになるのです。一方、ジョセフーヌはナポレオン1世に対し、深い愛と嫉妬心が強くなっていきます。

エミーリエ ヴィクトリア クラウスはナポレオン1世に連れられて、パリに住んでいた時期もありました。その時、ナポレオン1世は2重生活を送っていたわけですが、身を隠していた彼女の存在を知る人は、彼女のお世話係りの人のみだったようです。ナポレオン1世は戦場にもエミーリエ ヴィクトリア クラウスを同行させ、戦場では男装をさせていました。

1809年、第二回目シェーンブルン宮殿にナポレオン1世が住むことになった時に、エミーリエは一緒に宮殿で過ごしています。しかし、もう一人のナポレオン1世が、愛人として有名なポーランド人のマリア・ヴァレスカも宮殿に連れてきたのです。(マリア・ヴァレスカの生涯などについては、別にの機会にブログに書きたいと思います)

※ジョセフィーヌは、マリア・ヴァレスカには嫉妬心をむき出しにし、ポーランドまで乗り込んでいます。

2人の愛人を同時期にシェーンブルン宮殿に住ませていたナポレオン1世ですが、偶然にも2人が同時に妊娠をします

実は以前、ジョセフィーヌとの間に子供が出来ないため、ナポレオン1世の妹が連れてきた愛人がいて、ナポレオン1世の非嫡子が生まれています。ですが、ナポレオン1世はこの子達は自分の子供ではないと疑心暗鬼でした。

しかし、今度のこの2人の愛人の妊娠は、自分の子供達だと確信出来たようです。そして、子供が出来ない理由は自分のせいではないと自信を持ち、ジョセフィーヌと離婚を決意します。

ナポレオン1世には野心が芽生えており、伝統ある血筋の引いた自分の跡取りが欲しいと思っていましたから、2人の妊娠した愛人達は結婚の対象ではありませんでした(彼女らは愛するナポレオン1世の妻の座に上がるために、ナポレオンの言うことを全て素直に聞いていたようですが。。)

そのうえ、エミーリエ ヴィクトリア クラウスの場合は、日陰の愛人であり、身分を隠しておりましたので、生まれた男の子は、すぐに子供のいない家庭に養子に出されました。その子供が1810年5月3日生まれのオイゲン・メゲルレ・フォン・ミュールフェルドだったというわけです。

もう一人の愛人マリア・ヴァレスカは1810年5月4日に男の子を生んでいます。

※その後、エミーリエ ヴィクトリア クラウスの人生も波瀾万丈で大変興味深いので、簡単に説明を入れますね。ナポレオン1世は彼女に生涯年金をもらえるように、彼女の為にロンドン銀行に預金をして、手配をしていたにも関わらず、ナポレオン1世の死のどさくさで現金受け取りの仲介になっていた養父に公文書を焼かれ、受け取れなくなり、財政難になります。ナポレオン1世の日陰の愛人として、人前から身を隠すトラウマは、その後再婚しても、彼女に付きまといました。エミーリエは最後は犬の伯爵夫人とあだ名がつく程、人間ではなく、動物に愛着を持ち、プライベートの動物園を持っていました。きっと、動物には愛情を隠す必要がなかったからでしょうね。そして貧しい中、動物の餌も購入出来なくなり亡くなります。

二人の愛人が妊娠9ヶ月の時に、ナポレオン1世はハプスブルク家の皇女マリールイーズと再婚をします。

ナポレオン1世にそっくりなオイゲン・メゲルレ・フォン・ミュールフェルド

エミーリエ ヴィクトリア クラウスから生まれた男の子はオイゲン・メゲルレフォンミュールフェルドは生まれてすぐに、子供のいない裁判所に勤めるヨハン・ゲオルク・メガーレ・フォン・ミュールフェルトの養子となりました。

ミュールフェルトは賢い青年で、ウィーン大学で2つの博士号哲学と法学を取得し、卒業後は、ウィーンで弁護士政治家として活躍をしています。弁護士協会を設立するメンバーに所属していました。

彼は宗教の自由、手紙秘密厳重、人権尊重、死刑廃止を唱え、成功に導いており、オーストリアで偉大な貢献と実績を残しています。

上の写真 左がイゲン・メゲルレフォンミュールフェルド、右はナポレオン1世です。

オイゲン・メルゲレ・フォン・ミュールフェルトはナポレオン1世によく似ている事から、弁護士協会では「ナポレオニーデ」「忠実なナポレオン」というあだ名がついていました。

さて、本当にナポレオン1世の息子だったのでしょうか?

彼のルーツを調べるために、フランスからウィーンへ調査団がやってきました。残念ながらエミーリエから生まれた書類、証拠を見つけることが出来ませんでしたが、その後、ザルツブルク人の歴史研究家 アントン・ リッター・シャルハンマーがオイゲン・メゲルレフォンミュールフェルドはナポレオン1世とエミーリエ ヴィクトリア クラウスの隠し子であると主張しています。

アレクサンドル・フロリアン・ジョゼフ・コロンナ=ヴァレフスキと同じ運命

もう一人の愛人マリア・ヴァレフスキの息子、アレクサンドル・フロリアン・ジョゼフ・コロンナ=ヴァレフスキは、ナポレオンの子であるにもかかわらず、ヴァレルフスキ家の後継者として認知され、後に伯爵の称を継いでいます。

画像引用 wikipedia

公認のナポレオン1世の非嫡子であった彼は、17歳でフランスへ亡命し、外交官として活躍。従兄のナポレオン3世が大統領になったときは、在ロンドン大使などを務め外務大臣にまでなっている強者です。彼もナポレオン1世に顔も声もとても良く似ており、よくナポレオン3世と間違われたようです。

オイゲン・メゲルレ・フォン・ミュールフェルド1810年5月3日生まれ、1868年5月24日ウィーンで亡くなり、アレクサンドル・フロリアン・ジョゼフ・コロンナ=ヴァレフスキ1810年5月4日生まれ、1868年10月27日ストラスブールで亡くなっています。

偶然とはいえ、共に1810年5月にナポレオン1世の愛人から生まれ、政治家として活躍をし、1868年に亡くなっているのは偶然とは言え、興味深いですね。

彼のお墓はフランツスッペの後ろ側にありますので、中央墓地にいらした時に探してみて下さい。

 

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