楽友協会でのキーシンピアノリサイタル【忘備録】

ウィーンコンサート会場

本日はいつものガイドブログではなく、2022年2月17日楽友協会でのコンサート忘備録になります。

昨日、仕事の集合場所であった楽友協会で、正面玄関の横にあるポスターに目が留まりました。

『2月17日 エフゲニ・キーシン!明日、リサイタルだ!』

(コロナになってから、コンサート会場へも足が遠ざかり、プログラムチェックまですっかり怠っていました)

そういえば、最後にキーシンのピアノを楽友協会で聴いたのは何時だっただろうか。もう、5年以上前だと思う。

1986年、東京芸術劇場での日本初キーシンピアノリサイタルで聴いた時の衝撃。打ち上げ花火のような衝撃的でドラマチックな演奏と卓越したテクニック、そして、両手いっぱいの花束を観客席で見守っていた、今は亡きカントール先生に渡すキーシン少年の笑顔は今でも忘れることが出来ません。

そんな事をあれこれ思い起こしているうちに、キーシンのコンサートへ行きたくてたまらなくなったわけです。ありがたいことにチケットを入手する事が出来ました。

 

久しぶりに楽友協会の黄金の間を訪れる嬉しさとキーシンのピアノが聴ける私は高揚気味。すでに、50歳のキーシンに若い頃の連続打ち上げ花火演奏は期待しないまでも、沢山の元気と感動をもらえるとウキウキしていました。今シーズンは昨年亡くなった、キーシンの唯一のカントール先生へのメモリアルコンサートで、プロブラムは個人的に好きなベートーヴェンソナタ31番、ショパンのアンダーテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズも入っていました。

結論から言いますと、予想とは違う(私の勝手な予想でしたけど)リサイタルでしたが、名演奏でした!

最初の曲バッハ『トッカータとフーガdmoll BWV.565』が始まった途端、今までのキーシンの演奏と何か違うのです。強烈的な始まりの後、ドラマチックなのですが、1音、1音丁寧に演奏し、決してテクニックをひけらかさない。。その表現がむしろ心に突き刺さりました。さぁ!打ち上げ花火がくるぞーと構えすぎていた私が戸惑っている間に演奏が終了しました。

その後のモーツアルトアダージョ hmoll K.540は、これでもかというぐらいにゆっくりと、メロディーと繊細で美しい音色が音響抜群の楽友協会黄金ホールいっぱいに広がります。ペダルの使い方も絶妙で、長めに踏んでも音が濁らず、むしろ倍音が残響に溶け込み絶妙な演奏。BALKON席だった私ですら、身動きしてはいけない緊張感に包まれたのですから、舞台上の席の方は、息を飲んでいた事でしょう。

前半のプログラムで一番感動した、ベートーヴェンソナタ31番の演奏。

出たしがかなりゆっくりで、メロディーを奏でるかのように弾くキーシンは、何か言いたげな雰囲気を出す。特に第三楽章、ベートーヴェン自身か書いている『嘆きの歌』の部分の演奏は、感情をむき出しにせず、一音、一音全魂を込め、悲しく崇高な音色が会場に響き渡る。残響がより哀しみを訴えかけた。私はこんなに悲しいベートーヴェンソナタの音を聴いた事がありませんでした。楽友協会の音響を楽器のように操るキーシンのテクニックに全神経が集中しました。

まるで、キーシンがそばに座って、音という言葉で、喪失感や寂しさを告白されているような気持と言いましょうか、演奏ではなく、ドラマを見ているような気持になりました。

ハイドンがイギリスへ立つ前に、歳を取ったハイドンの健康を心配したモーツアルトが旅行へ行くのを止めさせようと『先生、イギリスはドイツ語が通じませんよ』と言った時のハイドンの返事『私の言葉(音楽)は世界に通じる』とはこういう意味なのか、と理解した気がします。

どんなに隠しても、芸術はその人の人生、考えている事、経験、感情の全てが表現となって出てくるのですね。テクニックもペダルの使い方や会場の音響や音の残響までも、作品の一部のようで、聞こえてくる音全てが聞き手に感動を与えてくれる。。もう神童キーシン坊やではなく、巨匠キーシンになったのだと、確信したのでした。

最後のフーガでクライマックスへ向かう演奏もあっぱれでした。ベートーヴェンは希望の光を見出したように、作曲(間違えてたらごめんなさい)したのでしょうが、キーシンは、前へ進もうと一歩踏みだした所なのかもしれないと、感じさせるような、自身を叱咤激励しているような表現でした。まだ、キーシンはカントール先生の死から立ち直れていないのかな。。

第二部はキーシンのお得意なショパンのアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ。私的にはアンコールのスケルツ第二番が相変わらず健在のキーシン節で楽しめました。若い頃の打ち上げ花火を彷彿とさせる演奏に聴衆も大満足だったと思います。

どんなに素晴らしい名演のCDを聴いても、今日のようなコンサルホールで聴く感動は得られない。

そして、音響学に精通していない建築家、テオフィル・ハンセンが、偶然とはいえ【音楽の神殿】と例えられる素晴らしい楽友協会の建築を成し遂げた事にも、尊敬の念が深まったのでした。

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