ガス室に送り込まれた女性アマリーエ・ツッカーカンドルの肖像画

ベルべデーレ宮殿 

グスタフ・クリムトに肖像画を描いてもらいたい!当時、クリムトは中流ユダヤ階級のご婦人達に大変人気があり、決して安い値段ではありませんでしたが、多くの注文がありました。

今回は1918年11月、グスタフクリムトが亡くなった後に、彼の最後のアトリエで発見された、未完成である『アマーリエ・ツッカーカンドル婦人の肖像画』について、ご案内したいと思います

アマリーエ・ツッカークランドルの悲劇的な運命

1895年、彼女は有名な医者(外科医、泌尿器科医)であったオットー・ツッカーカンドル氏と結婚しています。ユダヤ人であったアマーリエは、結婚のためにユダヤ教からキリスト教に改宗しなければなりませんでした。

1913年(推定)、グスタフ・クリムトはオットー・ツッカーカンドル氏の注文で彼女の肖像画を描き始めていますが、完成前の1918年に脳梗塞を起こし、入院先でスペイン風邪にかかり亡くなったため、未完成のままです。

戦争が終わり、1919年にツッカーカンドル夫婦は離婚、この肖像画はアマーリエが所有しました。しかし、アマーリエは実質的な生計を立てる事は不可能でした(ちなみに、1921年にオットー・ツッカーカンドルが亡くなります)

そこでアマーリエは、この未完成な肖像画をフェルディナンド・ブロッホバウアー氏に売ることを決断しました。彼は、有名な肖像画『黄金のアデーレ』のご主人です。ブロッホバウアー氏は、経済的な救助から購入することで、毎月決まった金額をアマーリエに渡し、後々、肖像画は彼女へ戻そうと考えていたそうです。

これが後にアマーリエ・ツッカーカンドルの肖像画は一体どの一族が所有権を持っているか!の争いの要因にもなる発言です。

※ブロッホバウアー氏もユダヤ人であるために、スイスに亡命しており、その時に、海外に持ち出してはいけないブロッホバウアー氏の財産リストには、アマーリエ・ツッカーカンドルの肖像画はなかったのです。

アマーリエ・ツッカーカンドルの未完成肖像画は、1942年代初頭にアマーリエの手元にありました。単に描かれた家族の元へ戻しただけなのか、再び、アマーリエが所有権を持ったのか、最終的には証拠不十分で全貌を明らかにすることが出来ませんでした。

アマーリエは肖像画の税金として、家族証明書を発行するために、7000マルクの支払いを命じられます。そのために、アマーリエの義理の息子が、再び肖像画を売却することを余儀なくされました(義理の息子だけはユダヤ人でなかったため、売却することが出来た)。

ツッカーカンドル一家はこの肖像画を、約1,600ライヒスマルクで美術品販売業者のヴィータキュンスラーに売却しています。(わずか1年後、価値は10,000ライヒスマルクに高騰しています)

売値は考えられないほどの安値ですね。ドイツによるオーストリアとの併合後(アンシュルス)、彼らがユダヤ人であったために、肖像画の所有権を手放さざるを得なかったのです。

その年の4月にアマーリエと末娘はベルゼック強制収容所に連行され、そこで彼女と彼女の娘はガス室で殺害されています。

アマーリエ・ツッカーカンドルの肖像画の所有権をめぐる争い

アマーリエは1942年まで、毎月ブロッホバウアー氏からお金を受け取っていましたが、ブロッホバウアー氏のチューリッヒ亡命後、支払いは不可能となり、ストップしています。

戦後、美術品販売業者のヴィータキュントスラー(1600マルクで購入した人です)が路上でアマーリエ・ツッカーカンドルの娘に会い、肖像画を買い戻したいかどうか、尋ねました。

彼女は『母親の肖像画を買う余裕はありません。もしも、肖像画がアパートに残っていたら、爆弾で破壊されたでしょうから、美術品販売業者のヴィータキュンストラーさんは肖像画を保持するべきでした』と、答えたそうです。

その後、ブロッホバウアー家相続人(子孫)とツッカーカンドル相続人が、所有権をめぐって裁判で争うことになります。

最終的に、ヴィータキュンスラーは、彼女がオーストリアのギャラリー(ベルヴェデーレ上宮)に肖像画を寄贈する遺書を書いており、2005年に最高裁判所にてこの遺言が認められ、この絵画はオーストリアギャラリー所有である判決がおりました。

ここまで私は、アマーリエの運命と相続にまつわる話を流れを淡々と書きました。

2枚のアデーレ・ブロッホバウアーの肖像画(黄金のアデーレ含む)他、3枚の絵画は、裁判の判決により、ブロッホバウアー家の子孫に返却され、現在はアメリカで展示されています。

アマーリエ・ツッカーカンドルの肖像画の所有権に関しては、現在も色々な意見もあるかと思います。

私は、ユダヤ人である彼らが、死の恐怖から仕方なく手放さなければならなかった、いわば略奪された芸術作品と同じだと考えています。当時の彼らの絶望、恐怖を思うと、もしも将来的に所有権を証明する物が出てきた場合、もう一度裁判を起こしてもいいと思っています。(仮に新たな相続人が決定された場合でも、ベルべデーレギャラリーに永久的展示してくださると嬉しいですけど)

アマーリエ・ツッカーカンドル肖像画の特徴

この絵画は未完成であり、1913/14年頃に描かれていますが、クリムトは1917年まで本格的な絵画制作に取り掛かりません。

写真引用 artinwords.de

最初の何枚かのスケッチでクリムトは、アマーリエのローネックのドレスの上に毛皮を着せていました。キャンバスでは、アマーリエを正面にやや傾斜したポーズを取ってソファに座った構図で、肩を大きく出したローネックの部分層を山岳のように描き、布張りの壁を風景に融合して表現しています。

クリムトのダイナミックな流れのあるスケッチは、彼女の顔の表現には使用されていず、動きは止まっています。高貴さを表すために、落ち着いた表情で唇はかすかに微笑んでいるかのように、目は大きくこちらをじっと見ています。

このドレスの色は、左下に見られるように、ピンク、水色の色で仕上げる予定だったのでしょうね。完成作品を観たかったです

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