ソーニャ・クニップス婦人は、19世紀末のウィーンの若い芸術家達にとって、非常に重要な女性でした。彼女は彼らのモダン芸術、ヨーゼフ・ホフマン、コロマンモーザーなどがメンバーのゼセッションを支えたスポンサーでした。
今回も、直訳ではなく、解説者が言いたかった内容を、私の言葉に変えて、ご紹介します(それでも、ドイツ語を日本語に訳そうとすると、変な日本語にもなっている箇所があります。お許しください)。
クリムトの絵画モデルの人ほとんどが、彼の恋人(愛人)だったようですが、果たして、クニップス婦人とクリムトとの間はどのような関係だったでしょうか。
ソーニャ・クニップス婦人 解説(概要)
これは1898年、グスタフ・クリムトによって描かれたソーニャクニップスの肖像画です。
ソーニャ・クニップス婦人は、1873年12月2日、リヴィウ(今日のウクライナのリヴィウ市で)に貴族家族の一員として生まれました。
彼女のフルネームはソフィア・アマリア・マリア・フレイラウ・ポティエ・デ・エシェルといい、1896年、彼女は大手鋼鉄工場の経営者アントン・クニップス氏と結婚しました。当時、ウィーンではこのような結婚は、「貴族の血をお金で売る」と呼ばれており、貴族の娘達が、裕福な市民と結婚する事で、経済難に陥った一族を救済する、いわば貴賤結婚です。
ソーニャクニップスとグスタフ・クリムトは既に、結婚前に知り合いだったともいわれています(顔見知り程度だったと、後継者がそう言っています。)この肖像画はソーニャが24歳の時に描かれたものです。クニップス氏は結婚生活になじめず、ふさぎ込む妻を、肖像画を描く事で勇気づけて欲しいと、クリムトに依頼しました。
肖像画は完成までに半年から、一年かかりますが、度々家に来る必要がないように、クリムトは白黒の写真を撮り、それを見ながら仕上げました。1898年の彼女の写真は現在も残っており(下記の写真)、グスタフ・クリムトがモデルをかなり美しく(見た目より)表現したことがわかります。動画では1900年代のフォトショップと言っていました
その時から、彼女はゼセッションの精神に興味を持ち、メンバー(スポンサーがメイン)となります。興味深いことに、1908年のソーニャが35歳の時の写真と、この肖像画にかかれている顔は非常に似ています。しかし、絵画のような、自信のない少女の表情でなく、真っ直ぐ前を向く目は、バリバリと仕事をこなすキャリアウーマンの顔つきです。しかも、10年前より若々しいです。
この絵画は、クリムトが正方形のフォーマットを選択したことがわかります。これは画家にとって非常に難しい構造で、通常画家は、構造が簡単な長方形の水平形式または長方形の垂直形式で絵画を構造します。クリムトはこの正方形の構造を好んで何枚も絵画を作成しています。
座っているソーニャ・クニップスの肖像画は、正方形の対角線に描かれており、非常にダイナミックです。まるで、彼女が椅子から立ち上がり、私たちに向かって来ようとしているようです。
クリムトが選んだソーニャの淡いピンクのドレスは、軽いブラシストロークで細かく、さまざまな方向に描く事で、印象的になるように表現しました。また、最初にクリムトは現実的な庭を描いていたことが、レントゲンから分かりました。しかし、彼はそれをやめて、背景をフラットでモノクロにし、装飾的なピンクの花を入れる事で、ソーニャのドレスをより引き立たせています。
背景も平らで装飾的、そして大ざっぱに描かれたアームチェア-これはすでにウィーンのユーゲントシュティール(アールヌーボー様式)の特徴です。
また、ソーニャ・ニップスは右手に小さな赤いノートを持っています。グスタフ・クリムトのすべての友人は、これがクリムトのデッサンスケッチやメモ用のノートであることを知っていました。これは彼の個人的なものであり、ソーニャ・クニップスがこの赤いノートを手に持っているという事実は、彼女とグスタフクリムトが恋愛関係があった事を意味しています。この赤いノートは今もなお、ベルヴェデーレ美術館の保管室にあります。
ソーニャ・クニップスは、ウィーン工房(ウィーナーヴェルクシュテッテン)のメインスポンサーになりました。彼女はデザイナーのジョセフ・ホフマンに依頼し、家族の家をグンペンドルファー通りにユーゲントシュティールで建てさせています。
ソーニャのクニップス氏は彼女の仕事や夢中になっている事には干渉せず、好きにやらせてました(というより、無関心だった)それでも、お金は全部クニップス氏が支払っています。
なお、ソーニャ・クニップスは85歳で1958年に亡くなり、ヒーツィングの墓地に埋葬されました。
最後に
この肖像画を通してゼセッションに出会えたことで、ソーニャ・クニップスは生き甲斐を見つけ、未来を有意義なものに変えたのは確かです。
クリムトが凄いなぁと思うのは、結婚はせずに沢山の愛人がいましたけど、とにかく女性にもてたのですよね。絵画の才能があり、生前に画伯として地位を得て、お金があったから。。だけではないのです。その一つは、とにかの女性を褒める!でも、これは意図的ではなく天性です。(ここでは長くなりますので割愛します。そのうちにクリムトと女性関係についても、ブログ記事を書きたいと思っています。)
『自分は綺麗な物しか興味がない』クリムトの言葉です。女性をきれいに輝かせる才能もあったようです。
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