ユネスコ世界遺産に登録されている豪華絢爛な『メルク修道院』はウィーンから約90キロメートル西のヴァハウ渓谷の始まりに位置しています。街を見下ろすかのように岸壁に建てられた黄、白の建物はオーストリアを代表するバロック建築で、まるでおとぎの国を訪れたような壮観な建物です。
私は8月から10月にかけてヴァハウ渓谷ツアーをご案内することが多くなります。緑が多い茂る夏のヴァハウ渓谷も素敵ですが、紅葉が始まったアルプスの麓にある古城やブドウ畑の景色は見る人々の心を一瞬にして穏やかにしてくれる素晴らしい景色です。今回はそのヴァハウ渓谷の始まりにあるメルク修道院の見どころをたっぷりとご案内したいと思います。
メルク修道院はオーストリア建国一族の最初の住居があった!
メルクという名前は修道院がある町の名前でもあり、9世紀に『Medilika』という名前で公文書に登場しています。その当時のメルクは神聖ローマ帝国の極東『オストマルク』に位置していました。神聖ローマ帝国皇帝は騎馬族マジャール人の襲来を防ぐためにバーベンベルクの一代目レオポルド1世を東辺境伯として任命し、彼は現在メルク修道院がある見通しのよい岸壁の上にお城を建てたのが始まりです。
よくお客様からオーストリアを建国したのは『ハプスブルク家』ではないですかと質問を受けますが、実はその前のバーベンベルク家が10世紀にオーストリアを建国をしていたのです。この一族が270年間続いた後、13世紀からハプスブルク家がオーストリアを統治します。
最初修道院を建築したのではなく、お城があった場所だったというのは以外ですがザルツブルクにあるホーエンザルツブルク城もカノッサの屈辱の報復を恐れて山の上に建てられていますから防衛として当時は見晴らしの良い場所にお城を建てることは多かったのでしょうね。
バーベンベルク家がドナウ河に沿って領土を広げた結果修道院となる
バーベンベルク家はドナウ河に沿って領土をどんどん広げていき、住居(お城)も移していきました。彼らは亡くなった一族に祈りを捧げるための独特の宗教コミュニティーを持っておりました。しかし、コミュニティーは一緒に移動することなくメルクの住居に留まっていましたが、1089年にレオポルド2世がその場所に修道院を設立し、べネディクト派修道院に寄贈しました。
現在みられる姿はバロック時代に改築され、長さ東西320メートルで『横に伸びた摩天楼』とも別名を持った建築家ヤコブ プランタウワーのコンセプトによる自然と建物の一体化の建物です。修道院のバルコニーからはドナウ河、メルク川そして可愛らしいメルクの町を見ることが出来、素晴らしい空間に訪れたお客様は皆様感激されています。
私はバスでメルク修道院を訪れるよりも、国鉄を使ってこの町まで来てのんびりと修道院と散策して過ごすのがが好きです。町から修道院まで登る階段は少し息切れしますが、趣のある石造りの階段の空間は中世を思い起こさせてくれて、メルクの町の歴史を感じます。
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