ホテルザッハー(Hotel Sacher)はオペラ座のすぐ後ろフィルハーモニカー通りにある5つ星ホテルです。日本でもオリジナルザッハトルテのホテルとして有名ですね。
ホテルザッハーにつきましては、以前ブログで書きましたので、是非、その記事もご参照くださいね。ザッハトルテ戦争(裁判)のおかげで有名になったザッハトルテ
このザッハーホテルの壁に作曲家ヴィヴァルディが住んでいた事が記されたレリーフがあります。有名なオラトリオ「四季」は誰もが音楽の授業で聴いたことがあると思います。今回はそのヴィヴァルディについての記事です。
イタリア・ヴェネツィア生まれの彼が、晩年はウィーンに住んでいて亡くなった事は、あまり知られてないと思います。その当時、まだザッハーホテルが建っていたなかったにもかかわず、なぜヴィヴァルディがここウィーンに住んでいたと記されているのでしょうか。
ヴィヴァルディはサン・
10年後の25歳の時(1703年)司祭に資格を得ました。しかし、病気がちのためミサが出来ず、
同時にたくさんの曲を作曲し、
各地の有力者ともつながりが強く、特に当時のハプスブルク家の皇帝カール6世はヴィヴァルディのパトロンとして莫大な援助をし続けました。
ところが1737年、ヴェネツィアの教皇領地内でのヴィヴァルディのオペラ上演を禁止されてしまいます。ピエタ女子養育院はヴィヴァルディが不在がちなのに加え、彼の音楽スタイルが変わらないことに不満を募らせていました。
そこで1740年、ウィーンへ移り住む決心をしたのですが、頼りの皇帝カール6世が他界すると、喪に服したオーストリアは一年間演奏会を禁止としました。
そのケルントナートーア劇場のあった場所が現在のホテルザッハーの場所でした。それでここにレリーフが掲げられているのです。
そういったいきさつから、ウィーンで成功する事がなかったヴィヴァルディですが、彼の音楽は今も世界中の人々に愛され、演奏され続けています。
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